埼玉県は本来、大きな可能性を秘めた地域です。首都圏の一角を占める好立地に位置し、製造業が多く集積する工業県であり、人口は約732万人と、シンガポールやノルウェー、デンマーク、アイルランドなど中小国を上回ります。けれども、それら国々の名目GDPが約60~80兆円(1ドル=155円で換算。令和3年度の年平均為替レート110円で換算した場合は50兆円前後)に達するのに対し、埼玉県の名目GDPは約23兆円(令和3年度、令和6年3月15日公表)と半分未満にとどまります。裏返して言えば、埼玉県は伸びしろが大きい、適切な戦略とそれを達成するコミットメントがあれば、所得倍増も可能と考えます。
私は1980年代、シンガポールに約6年間住んでおりましたが、当時のシンガポールは決して裕福な国ではなく、むしろ貧しい人々や地域の方が多いぐらいでした。けれども故リー・クアンユー首相などによる強力なリーダーシップの下、優れた国家戦略と旺盛な向上心、勤勉な国民性等を通じて、6年間住んでいた私にも想像ができなかった程、今では世界で最も経済的に成功した国へとのし上がりました。
私は数々の事業や企業を創出した埼玉県が生んだ偉人・渋沢栄一翁の精神や心意気などを受け継ぎながら、また証券アナリストとしての職務経験や知識なども生かしながら、埼玉県の所得倍増、それから埼玉県が「人口減少・超少子高齢化社会の到来」、「激甚化・頻発化する自然災害への危機対応」の2つの歴史的課題を抱える中、税収増を通じて、教育、医療・介護、防災など様々な所へ必要な措置が施される様、取り組んで参りたいと思います。
さて、埼玉県経済の現状分析を行うと、低い「成長性」と「収益性(生産性)」が課題として挙げられます。その克服には以下の3点の施策が必要だと考えます。
成熟した旧い事業主体から、成長する新しい事業主体へ産業構造転換の推進
他地域の追随を許さない「差別化」や「参入障壁」の構築
県産業を観察すると、成熟事業の比重が大きく、成長事業の比重が小さい傾向にあり、「成長性」の引き上げには、成長事業を拡大させる必要があります。
経営学者ピーター・ドラッカー氏は、イノベーションを成功させる条件の1つとして、「強みを基盤としなければならない。」と語っています。埼玉県の製造品出荷額等の構成比(令和3年)をみると、第1位が「輸送用機器」で17%、第2位が「食料品」で14%、第3位が「化学工業」で12%であり、強みを県内に有する産業と言えます。この基盤を生かしながら、「成熟した旧い事業主体から、成長する新しい事業主体へ産業構造転換」を図り、県経済の「成長性」を引き上げるべく、以下に提言をして参ります。
第1位の「輸送用機器」は、自動車産業が中心で、周知の通り同産業はガソリン車、内燃機関車(ICE)から、EV(電気自動車)への移行が進む転換期にあります。けれどもEVにおいては、車の構造がシンプルになり、それに伴って部品点数や雇用が3~4割減少するとされ、今後、県内の部品メーカーや下請け企業への影響なども危惧されます。
ところで昨今ドローンの技術を用いた「空飛ぶクルマ(eVTOL・電動垂直離着陸機 )」が注目され、2025年の大阪・関西万博では飛行が予定され、目玉企画になっています。経済産業省下の「空の移動革命に向けた官民協議会」では、「空飛ぶクルマ」は2025年頃に商用運航開始のフェーズ1に、2020年代後期以降、運航規模が拡大するフェーズ2に入るとしています。また「空飛ぶクルマ」の市場規模として、世界の自動車産業は約2.5兆ドル(約388兆円)であるのに対し、米モルガン・スタンレー社ではTAM(獲得できる可能性のある全体の市場規模)で、2040年までに1兆ドル(155兆円)、矢野経済研究所は2050年に180兆円を超えると予測しています。「空飛ぶクルマ」は、モーターやバッテリー、自動運転など、EVとの共通性が高く、一部で「空飛ぶEV」と呼ぶ声もあります。EVから「空飛ぶクルマ」へ産業を県内で横展開できないか調査を進め、新たな事業機会の創出を目指して参ります。
第2位の「食料品」も成熟産業と見做されがちですが、今後大きな変革が見込まれる産業です。医療産業では、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が発見したiPS細胞や、ES(胚性幹)細胞等をもとに、将来、心臓や肝臓、腎臓などの臓器がつくられる再生医療が広まり、医療の未来は大きく変貌して行くと見込まれています。「食料品」においても同様に、肉や野菜等を細胞から直接つくる「培養肉」や「細胞農業」が将来広がると予測されています。
「培養肉」や「細胞農業」のメリットは、第1に環境負荷の低減です。温室効果ガス(GHG)の十数%は、牛のゲップに含まれるメタンガスなど畜産関連とされ、最大の割合を占めるとされています。今後、世界の人々の生活水準が上がり、食肉が増加した場合、家畜のほか、飼料向け農地が更に必要になるなど、一層の環境負荷が懸念されています。それに対して「培養肉」では、細胞から肉を直接つくるので、温室効果ガス(GHG)や農地確保に伴う環境負荷もほとんどありません。第2に動物愛護の観点から望ましいと考えます。地球上の家畜は、牛が約17億頭、豚が約10億頭、鶏が約330億羽いますが、命の犠牲の上に、我々の食生活は成り立っています。けれども、細胞から肉を直接つくれる様になれば、動物を殺す必要はもはやなくなり、工業的畜産からの解放が為されます。第3のメリットとして食料自給率の向上です。日本の食料自給率(令和4年度)はカロリーベースで38%、畜産物に至っては17%(うち牛肉13%、豚肉6%、鶏肉9%)にとどまります。細胞から肉や野菜を直接つくるようになれば、海外へ依存せず、貿易赤字も減少し、食料自給率は格段に高まります。その他にも、製品化までのスピードが早い、将来的には既存の畜産や農業よりも価格を下げられる見通しであること、クリーンで、衛生的である事などが、メリットとして挙げられます。
米大手コンサルティング会社A.T.カーニーは、2040年に培養肉が食肉市場1万8,000億ドル(約280兆円)のうち、35%(約100兆円)を占めると予測しています。県内の「食料品」が成熟産業から成長産業へと脱皮を図り、高い「成長性」を実現し、また「培養肉」や「細胞農業」のメリットを最大限に生かすべく、「培養肉」や「細胞農業」のクラスター形成を目指して、調査を継続して参りたいと思います。
ドラッカー氏は「イノベーションを成功するには、小さくスタートしなければならない。大がかりであってはならない。変更が効くのは、規模が小さく、人材や資金が少ない時だけである。とはいえ、最初からトップの座を狙らわなければならない。さもなければ、競争相手に機会を与えるだけである。(抜粋)」と述べていますが、まずは小規模から、けれども志は大きく取り組むべく、進言をして参りたいと思います。
第3位の「化学工業」ですが、ノーベル賞の有力候補である横浜桐蔭大学・宮坂力特任教授らが発明した日本発の技術で、化学的特性を強く持ち、フィルム状で折り曲げ自在な「ペロブスカイト太陽電池」が脚光を浴びています。我々が日常目にする、住宅の屋根や広い土地にずらりと並ぶ「シリコン系太陽電池」は、既に平地面積当たりの導入量が、主要国で日本はダントツの1位に達し、将来に渡り場所確保の見通しが立ちにくくなっています。一方で「ペロブスカイト太陽電池」は、ビルやマンションなどの壁や窓はもちろん、PCやスマートフォン、電化製品など、僅かなスペースにまで貼ることができます。PCやスマートフォンでは、コンセントにつなぐ充電が不要になるほか、電化製品の乾電池も要らなくなり、利便性は大幅に高まります。また「ペロブスカイト太陽電池」の主要原料であるヨウ素は、日本が世界第2位の生産国で、自給が可能です。日本のエネルギー自給率は僅か13%(2021年度確報値)にとどまり、石油や石炭など鉱物性燃料は多額の貿易赤字を計上していますが、「ペロブスカイト太陽電池」は将来的に自給率向上へ大きく貢献する事が期待されます。政府は2030年までの早期に予算措置を講じて量産体制構築を目指す方針を打ち出しており、埼玉県へ量産拠点を含む産業クラスターの形成は可能か、更なる調査を進めて参りたいと思います。国内、海外ともに大きな需要が見込まれ、埼玉県のものづくりの強みを生かしながら、一大生産拠点としての可能性を探って参りたいと思います。
以上、「成長性」の向上に向けて記述して参りましたが、同時に「収益性(生産性)」の向上も重要です。マイケル・ポーター・ハーバード経営大学院教授は、参入障壁として、(1)規模の経済、(2)製品の差別化、(3)資金の必要性、(4)規模に関係ないコスト面での不利(経験曲線、立地、特許など)、(5)流通チャネルへのアクセス、(6)政府の政策 の6種類を上げています。また商品開発、購買、製造、物流、マーケティング、アフターサービスなどバリューチェンの重要性を強調し、優劣はなく、どれも重要であると説いています。専門性の強化などを通じた参入障壁の構築、バリューチェーンの整備等にも留意しながら、高い「収益性(生産性)」を持つ産業クラスターの形成を目指して行く必要があります。
低成長市場への依存から脱却し、高成長市場の開拓推進
円安を活用した海外直接投資(FDI)の呼び込み
埼玉県経済が「成長性」を引き上げる一つの方策として、低成長性にとどまる国内市場への依存を脱却し、グローバルサウスやASEANなどの新興国、約80億人の人口を有する海外市場の開拓をより強化する必要があると考えます。
また円安は、海外直接投資(FDI/Foreign Direct Investment)呼び込みの絶好の機会です。インドのモディ首相は、2001年にグジャラート州知事へ就任しましたが、当時、グジュラート州は外資系企業の誘致などで遅れ気味でした。更に2001年には地震に見舞われ、翌2002年には宗教対立による暴動が起こり、多くの犠牲者も発生しました。モディ首相は事態打開に向け、今では日本のメディアでも報じられる投資誘致イベント「バイブラント・グジャラート」を開催し、2021年度は同州の製造業の付加価値額が約6兆ルピー(約11兆円)と2004年度の11倍に達し、インドでトップの州となりました。埼玉県でも同様のイベントを開催できないか提案をして参りたいと思います。
高い付加価値を生み出す産業高度化の実現
ドラッカー氏は、早くも1969年に著書「断絶の時代」の中で、「知識社会」の到来を予見しました。今、世界経済を牽引する、AI(人工知能)、量子コンピューティング、ブロックチェーン、ロボット、ドローン、3Ⅾプリンター、再生医療、バイオ医薬品、遺伝子解析、ナノテクノロジー、宇宙ロケット、水素エネルギー、電気自動車、自動運転 等々は、まさに「知識社会」を体現しています。けれども昨今、GAFAM(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト)など巨大テック企業等へ払うデジタル赤字は約5兆円の規模に達し、また医薬品などで支払う貿易赤字約4兆円も問題視されています。これは「知識社会」や「ポスト工業化社会」時代への対応が遅れ、先進的あるいは高度な分野を中心に、競争力の劣後が生じていることの表れではないでしょうか?
2022年夏頃、日本への海外一流大学誘致として、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学、カーネギー・メロン大学などの名前が浮上し、大学側も日本進出を希望しているなどとの報道が度々流れました。もしこれが事実であれば「知識社会」における競争力向上、産業高度化への大きな機会になり得るのではないかと考えます。
マーケティングの父と言われる、フィリップ・コトラー・ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院教授は、「成長を求める都市は、十分な数の人口と成長を後押ししてくれるような適正なタイプの人々の定住が必要である。誘致すべきタイプの人々は以下の4つに分類される。」と述べ、1.富裕層の人々や投資家、2.熟練労働者やクリエイティブな芸術家、3.熟練した経営管理者と専門家、4.熟練した教育者と教育制度を挙げています。海外一流大学の誘致は、これら多くの人材を取り込む機会となり、また産業高度化へ向けた大きなチャンスになると考え、その誘致にまずは調査を進めて参ります。